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​「ひたすらに、ゆるむことなく、休むことなく」

​岸田 親憲

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​ひたすらに、休むことなく、ゆるむことなく

岸田 親憲

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​自分を運ぶと云うこと

 自然の動きそう云うことを申しましたが一般社会では特に日本では自然と云いますと山や海や川や野やいわゆる人間界ならぬ自然界をイメージいたしますが、ここではその様な自然界を含めて眼の前で起きて来るいろいろな現象、事柄の起きて来るサマを言います。さて教え基十三条に「朝は早く夜早く腹は常に八分目」と教えて頂いておりますが最近の人間の行動パターンはどうかと言うと、世の中すべてが契約社会であり時間にしばられて動いております。そうである丈けに人間は合理的な考えや動きをとり決められた時間に合わせて動きます。朝は早く夜早くと教えられていても夜遅くまで起きている習慣になっていて朝はギリギリ仕事に間に合えば良いと云う生活であります。そして夜遅くなってまわりが静かになってからの方が用事が出来ると云いますが、私から云うと、夜は体も疲れており精神も疲れております。ですから精々夜は早く寝る様にそのかわり朝は早く午前三時をきりにして四時に起きて夜分にする仕事をする、こう云う生き方をするとそれが自然の動きとピタッとそった生き方で子供も風邪を引かない寝冷えにもかからない。何とも云えない気持ちがさわやかで活き活きとした日々が送れる様になる。

 行う事柄がみな生き生きとしたものが出来て来る。堀尾さんの作品でも本当に生き生きとして人の目にも映ってくる。ところが夜ふかしをしてやったならそこに眠入った様なものが出来てくる。これは自然の動きに反対して逆に行くからそういうものが起きてくるのであります。先生それでは深夜作業をしなければならん人は一体どうなるかと云うことでありますが、いつもその人達にお話しておる通り、会社から帰ったらすぐに寝る。そして朝御飯よばれる。これが普通の人の晩御飯になる。又すぐに休ましてもらう。そして時間が来たらパッと起きる。するとこれは早寝早起きのこととなる。しかし深夜作業を長い間続けているとやはり夜分はものの休む時間であり回復力を自然に共に授かっていく時期であります丈けに夜分の仕事を続けている人は血色が悪い。したがって寿命も短い、それはなるべくやらない様にして頂きたい。今云った様に自然の動きに添わして頂ける様に自分が自分で心掛けておるところに本当の健康と幸せと云うものが生み出されてくる。そうしてその様に神さまから健康や幸せを授けていただくことが出来る様になると、そう云うものが全部生活の基本になるわけですからよく考えて日々を過していただきたい。又そのことがそのまま行えると云うこと自体を神さまにカー杯感謝して頂きたいのであります。我々が如何に自然の動きそのままに又神さまの恩召しそのままに行こうとしましてもいろいろな事柄が起きて来て神さまからいろいろ知らされます。その時はやはり自分がよく吸収して直さして頂いて立派な己れをつくらせて頂くと云う風に考えて頂きましたら一層結構なことだと思います。こうして教えを聞いて実践をし自分の倍仰がだんだんと突き進んで行きますと、ややもしますと教会の教師をうとんじるこう云うものが出て来ます。

 うとんじられる教師は自分の日々の行いが神さまの御意志に反した則った行いをしていないから倍者からうとんじられる様になるのです。教師たるものはそれ丈けの覚悟がなかったらいけない。

 又もう一つ付け加えておきますが、先ず者として教会の教師をあなどると云うこと、このものが己れに災いを生じさせて来ると云うことであります。うとんじられる教師も根本のところ即ち神の御意志を一寸の狂いもなく寸時の休みもなく行じていくものが教師であることをしつかりと自覚しなければなりませんが、その教師をあなどる者もこれをつつしまなくてはなりません。教師は常に信者のことを畫夜の別なく大神さまにその立派になられること向上と幸せを祈っております。極端なことを云うと信者は教会にお詣りをした時けで大ていは後は自分のことに一所懸命であります。自分の気に入らないから行動が間違ったからと云って、そのことによって自分の幸せを神さまに祈り願っている教師をあなどることは、自分を自己否定していることと同じであり、それこそ大神さまは常に誰にも等しく見護っていて下さるのであります。あなどる現実があってもあなどることなく言うべきは言い正すべきは正すと言った行い方が結局神さまからお蔭げを受ける生き方であると思います。両方とも、神さまからそこまで行を修めたか、立派なものだ、いましめて行を続けて行けよと言われる様な人間にならなかったらいけない。そうなればなる程、自分の幸せと云うものがだんだんと多くなって来る。

 そうなった時信仰はいよいよ円熟期に入りつつしみ、たしなみの顔の相が出現する。教祖さんもおっしゃいました。信仰をすると面相、骨相までも変わってくると。桓夫君もいい顔をしておられますが、もっとええ相になろうと思ったら祭服を着て奉仕をして下さい。どなたでも名乗りを上げて下さい。遠慮なく申し込んで頂きます様、ご婦人でも結構であります。人間としての価値を見て神さまがさせて下さるのであります。

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