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​「ひたすらに、ゆるむことなく、休むことなく」

​岸田 親憲

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​ひたすらに、休むことなく、ゆるむことなく

岸田 親憲

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​はじめに

 想い起せば初代神戸教会長木村先生とお逢いしたのは今を去る六十年も昔のことである。それは私が幼稚園の時、小児用の自転車に乗り切ることが出来ず逆V字形補助車をとり付けてもらい豊岡駅前(現在、豊岡市大手町6番5号)の自転車油の臭いのただようお店で精悍なおじさんから赤く塗られた自転車を受け取った時のことことである。白い長袖のシャツに黒の腕抜きをされた嵐丈そうな手が私の前にヌッと突き出されたことが昨日のことの様に想い出される。

 長い人生の中で幾干とある限りない出逢いの中でどうして斯うまでも先生との出逢いがハッキリと私の記憶の中に生きているのであろうか。

 それは晩年の宗教家としての先生の生きざまや人格や信仰者としての透撤された深くダイナミックな識見や境涯が大きなインパクトを私に与え、又同じ教団の中にあってその立場こそ違え肝臍相照らし暗黙の裡に相通じ相許るし合うものがあったからではなかろうか。今こうして追悼の一文を書き乍ら、それは単なる想い出としてではなく天かけり國かけり給う先生のみ霊に向かい顕幽の境をこえて満腔の敬意と深甚なる謝意を私の全身で捧げる次第である。

 この度神戸教会開教四十周年の記念事業の一環として数多く残されている初代教会長の録音テープの中から抽出すいして、主に先生の教話を小冊子とし出版することとなった。

 勿論、先生の神さまに対するお気持ちや人生に対するお考えや先生の人格お人柄を理解させて頂くためには遺されしものをそのままに文字に表わし主観を捨て時をこえてそのままに我がものとする以外に方法はない。しかし、限られた時間と限られたスペースの中でその全貌を網羅することは到底不可能であるため、教主として又、僭越きわまりないことであるが教団の中で一番先生を理解させて頂いていると言う自負心から私人として「私」が先生になり切りその抜すいと監修をさせて頂くこととなった。

先生はご生前信者さん達の夫々の悩みや抱えられている問題を具体的に解決しお導きをされながら

「信仰と云うことはどう云うことか」

「常に神さまのお考えはどこにあるのか」

「生きると云うことはどんなことか」

と云うことを主軸として現実の事柄を引き合いに出され慈父の如く兄の如くやさしくきびしくお導きをされた。

 すべての存在は同心円であること、まわりのものすべてを活かそうとする者こそ自分も生かされる、信ずると云う行為は利害や契約や取り引きでなく相対するものと一つになり切ること、じ切ってこそ相手の力を全部引き出すことが出来る、生きることはソツなく休みなく前へ前へと自分を推しすすめることなど開巻すれば枚挙にいとまがない。

 願はくばこの初代教会長木村先生の遺校に接しられる人々が先生の全人格と全力量を我がものとしていただき、ありし日の先生の存念として明るく力強く、悔いることなくうらやむことなく喜びにあふれ、他の人を疎外することなく開かに人生を生きぬいて頂きたい。又同時にそのことが先生に直接間接をとわずお導きを受けられた方々の師に対する唯一の報恩の道ではなかろうか。

 ここに改めて先生のみ霊に対し幽世での御功績の大いなること、遺されし教へ子たちのお導きをお祈りする次第である。

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