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「ひたすらに、ゆるむことなく、休むことなく」
岸田 親憲
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ひたすらに、休むことなく、ゆるむことなく
岸田 親憲
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摂理ということ
先日の教長先生のお話に「摂理の神さま」と云うことを申されましたが、ご摂理の神さまとはどう云う神さまなのでしょうか、ご神名はいろいろと聞かされておりますがどう言う神さまでしょうか。
日々の事柄で申しますと、例えばご飯を炊こうとする時水加減をし火加減をするをする、その結果おいしく炊けたとかそうでなかったとか堅かったとか柔らかかったとかいろいろありますがこれが摂理であります。
摂理と云うことは、改良、改革、組み替え、組み立てをされておると云うこと、皆さんが体の具合いが悪いと云うのも立腹と云うことの結果腹痛となっている。これを取り去ると平常になっていく、このことを言うのであります。これを承知しないと筋道としては判っていても日々の動きの中で判っていないと意味のつながらないバラバラのことになる。
何事も最も底の底のところから解いて行って筋道を立てれば良い。これが最も大事である。この摂理と云うところの組み替え組み立て、改良、改革は我々との日々のすべても、世の中のこともこのことに終始一貫している。
そしてこの様な現象事象、事柄に出喰わしたこの時どのように良くして行くのかと云うと、立腹と云うことから言へばこれは尊い体験である。その原因は立腹にあり教えられたことを次からはかようなことがない様にしなくてはいけない。
「たしなむ」ことを心がけていくことはそれを会得したと云うことである。体験しても会得することがないと人間は向上もしないし上等にはなれない。色々なことを経験体験し積み重ねて行くことによって、自分がその眞の意味を会得していくことによって常識も人格もが高まり立派な人間になってゆく。体験する丈けでなく会得することによって知らざるうちに、要らざることをしたり思ったりしない人間に成ることが出来る。身で知って行くと云うことである。
又知識と云うことだけであれば、その事情によって忘れたり、その事情にはまり込んでしまうが、体験と云う身で知り承知したことはその様にはならない。このことをしっかりと承知させて頂くのが親導教の信仰である。
常に常識を高め深い見識を持つと云うことは、常では判っていてもその事態の中に遭遇するとそれにはまり込んでしまう。これではいけない。会得すれば事態の中に自分が埋没することなく「個」であることが出来る。混合しては駄目、個であることを忘れて解け合わないこと、摂理と云う のは個々があり乍ら一つのものに成りきることである。そこに組み替え組み立てがある。神さまの真意を取り入れてそのままの人間にしてしまう。その事態の中で区分けがないのである。思召しにそってゆけば、神さまの幸せそのものを自分に頂くことが出来ると教えられている。
神さまは何のために組み合せをされ組み立てをして経験体験をさせ会得させようとなさるのでありましょうか。
この世の一切が神さまの思召しそのものだとするならば、神さまの思いのままが出来上がり現成して来て何の不思議もない。当り前である。
我々のやっていること、行っていること、これ即ち摂理であると云うことであります。一切が神仕事を、自分が神さまの思いを行動に移していると云うことであります。従って、さまざまな出来事、事柄の真意をたずね、求め、それを会得さして頂いて良いと思うことは力強く推進して行くことである。斯様に世の中は前へ前へと進んでいるのであります。
良きにつけ悪しきにつけ教えて頂いたことを感謝して、再びおかしなことをしない、考えない自己をきづきあげてゆくこと、己れの向上を目指すことが神さまの思召しにそわして頂くことになるのである。
瞬時の休みもない世界に我々は居らして頂いてその世界がどの様な世界であるかと云うことを承知させて頂くことだ。
まことに明るい世界、明るい世界はどうかと云うと、例えば指を切ったその時、痛みがなかったらその時の気持ちは明るいではないか。おかげを頂いて不思議と痛みがない、と云う明るい気持ちに なると云うことであれば、神さまの世界とは今我々が住んで居るこの世界を云うのではないか。従って自分の心の在り方ひとつで明るくも暗くも暮らすことも出来る。神さまの気質をそなえている神の子であると云える。同質であると云うことが実感出来て判って来る。
我々はこの様な信仰をしているのであるから判ったら自分の体験から会得したことを人様に知らせ教えてあげることが大事ではないか、これが出来ないと云うことは神さまを信じていないと云うことになる。
自分を生き生き伸ばして行くその本筋にありながら何故云えないのか、勿体ないことでありかえって不思議である。もっともっと神さまの思いを外に出すことである。
自分の行いをつつしむたしなむと云うだけであれば、その心得を教えて頂いてお蔭げを受けて行けばそれで良いしその幸せは持てるが、ただそれ丈けである。その喜び幸せを他に分かち合えてその喜びが自分のものになって来るとその場が拡大してゆく即ち教えを布くことになる。自他共生、自他共栄それには自分の体験を応用活用して下さいと云う慈愛、愛情と云うものを強く持って頂くことになる。
より良き行動、より良く伸びていく行動をさせていただくと云うことは結局神さまのご意志にそうと云うことである。善し悪しはそれからの問題である。この様に心の動き身の運び方がより明るい方面に動いているかどうか、自分の今の心の在り方がすべてを決めているのである。
神さまに幸せにして頂きたいと願うのならばそうなる様に良く考えて、より喜んで生きさせて頂けるかと云うことを一つ一つの動きの中で自分を研究してゆくその理が教えと云うものである。
心の動き、それに伴う身の動きを言葉にするそれを教えと云い、結果として現れたのが教えられていると云うことです。
悠久の世から時を経て継承された命が、今ここに生み出されてもこの扱い方一つで総てが変わってしまう。手入れの仕方である。
こうして自分や自分以外のものを見て、そのものの真実、真意、心理をとらえて進んで行けば間違いないと分かって来る。あらゆるものを見て聞いて自分の在り方進み方伸ばし方に改良改革してゆく、それが森羅万象の動きであると云う風に神さまは教えて下さっているのである。
神さまの思いを充分に会得さして頂いて色々体験させて頂くことを、より立派に行っていける人間になる様に、その真意を会得していくと云う日々であればお互いもっともっと明るい生活がさせて頂けること間違いありません。
宗教法人神道親導教
〒668-0811
兵庫県豊岡市鎌田285番地の2
TEL 0796-22-3981
FAX 0796-22-3982
− 親導教だより
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