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​「ひたすらに、ゆるむことなく、休むことなく」

​岸田 親憲

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​ひたすらに、休むことなく、ゆるむことなく

岸田 親憲

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​おまいりと今

 信仰と云うことを一口に言ってしまえば「この世の眞理やしくみを承知させて頂く」ことであります。我々が助けて頂きたいと願はねばならないのは、その願う人自身が横道にそれて外れているからでありまして、本筋を聞かせて頂いてその本筋に乗ることによって楽しい明るい生活をさせて頂く、これが信仰の本筋であります。ところが筋を間違えて不事災難が出来てそれを取り除いてもらえたらそれで良いと云うのが一般的であって、自分の直すところは何もないと云う風な実に身勝手な信仰であります。信仰にウソも本当もとお思いでしょうがこれは本当の信仰ではありません。信仰と云へばこの世の眞理やしくみを悟り承知をさせて頂いてその眞理を我がものにして神さまと同じ様に明るく爽やかな日々を暮らさせて頂くと云うことであります。親導教の信仰をよく考えてみて下さい。現象、事象、事柄に出くわした時どの様であるのか、その時、その人にふさわしく、たしなみ、つつしみ心得を説きこれ以外何ものもなくこのことしか教えられていないのであります。

 神さまは己れの間違いを指摘して下さって本筋に乗れよ、お前えが本筋に乗れば神さまのお力でその災いを取り除いてやろう、この道に乗って来いよと思召しされておりこれが神さまであります。例えを申しますと、小使いの使いすぎとか目上に対しての態度が悪いとか、目下を愛せ可愛がれよと言われるのはその筋をハッキリと教えて幸せになれよ立派になれよと云う神さまの思召しであります。單にお詣りをして先生のお話を聞けばそれで良いと云う様な安易なものではないのであります。

 眞理やしぐみを悟りそれを承知させて頂こうとする人はその人らしくこの道を踏ませて頂くことであります。日々の生活の中で実践させて頂くことであります。それについては「教への基五十ヶ条」が親導教の神典としてあり又「生活信条」があります。ここに示されているそのままに日々の生活が行える様につつしみたしなんで努力いたしますとお誓いして生活をおしすすめるのが実は信仰と云うことであります。

 「喉元すぎれば熱さ忘れる」と云う諺がありますが、この様なことのない様に常々神さまの御前にひざまずく様にさせて頂くと云うことであります。お詣りが遠のくと忘れてしまいます。本当に幸せを乞い願うのであれば大神さまの前に自分の体を運び常に神さまに己れを見て頂くことであります。己れが神さまの様に大きな気持ち明るい気持ちで生活をすすめさせて頂ける己れになることであります。神さまの気持ちを己れに写し取ると云うこんな気持ち心掛けで信仰をして頂きたいのであります。これが神さまの思いであります。

 そこでお詣りと云うことについて一言触れておきます。人間生まれた時からお話りと云う時間は与えられておりません。余分な時間はないと云うことであります。しかし幸せになりたいと願うなれば、自分でこの時間を生み出していくことであります。つまらない時間を作らない様にすることでこのお詣りの時間は充分に生み出せるものであります。

 お詣りがかけて来ると不思議に人間は粗末な時間を過してしまいます。健康と云うことで例えてみると、もう少しゆっくりしたいとか、一服してからとか、今日はしんどいなぁと云う様なことがなくなってしまいます。この様な生活のくり返しは動作がにぶり仕事が速やかに出来ません。スムースに事が運ばないと云う様にまことに無理な無駄な過し方であります。

 神さまに一所懸命と云うことは、又神さまのお力をさづかっていると云うことは我々の人生にこの様な無駄な時間はないと云うこと、すなわち、神さまによってそんな無駄になる様な時間は取り去って頂いていると云うことであります。神さまによく頼んであるから大丈夫だと云う程度ではいけません。そうではなく神さまと共に生き生きと生かして頂き度い、前向きに生きると云うことに充分な力を入れて頂きたいのであります。

活き活きと生きると云うことは言いかえますと絶えず神さまの前に身を運ぶと云うこと、命を運ぶと云うことであります。この世と云うところは動きに動いておるところ、一瞬の停満も停止も休みのないところであります。この宇宙が150億年の前にビッグバンをしてそれ以来休みなくふくれ続けております様に前進あるのみであります。

 前へ前へと進むにはどうしたら前に進めるかと云うことであります。決して前に進むから明日のこと未来のことを大事にして考えると云うことではないのであります。先きが大事と云うことは「今」が一番大事であるのです。この今の在り方によって運命は大きく変わって参ります。決して昨日のことで今日の運命が変わるのではありません。今やっていること、今考えていることが運命を開拓し改革しておるのであります。「今」と云う時と場所に己れのすべてをぶち込むことであります。人間はいろいろと理屈をつけて今の中に自分を放り込まないものであります。たえず楽な方に楽な方に安易な方に我が身を運びたいものであります。いわゆる「今」を粗末に使ってしまうのであります。

 神さまの前に命を運び身を運ぶ目的は、神さまの様に明るい気持ちで暮らしたいと云うことであるはずであります。家庭であれ会社であれそのものは動きがありますが中味は夫々個々の動きであります。その個々の動きのところをガッチリと握ることが最も重要であります。「今」

「意、イ」「間、マ」が大事」であります。これが私の言うところの「いま」であります。過去に入り込んでは駄目であります。未来に入り込んでも駄目であります。今と云う一歩前、これが過去の体験を通して過去に入ることなくわずらわされることなく、悪しきところを正していく、改革してゆくところであり、この気持ちで居らして頂くことであります。

 私たちの行動一つ一つに賞理が現れております。神さまはその様に教えて下さっております。この世に逆戻りはありません。より明るい行動を起こす人間になる様に常に前へ前へと、そのために神さまの前に自分を運びさらけ出し神さまに見ていただいて決して恥じない自分になることでります。斯様に考え心がけて頂いて信仰を真剣に進めて下さい。

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