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​信仰と「私」

​岸田 親憲

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​信仰と「私」

岸田 親憲

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​「恥」の意識をうらがえしてみれば

日本人の心の中には知らず知らずの裡に自然な形で常に「みんなと同じ」と云う村全体の意識が先行し「私」「僕」「個人」と云うほんとの意味の「個」意識がうすれてゆき全体的には真の意味の自覚をともなった「個」が発生しにくかったと云っても決して過言ではありません。

共同生活の中で一列の横並びからお互いに「恥をかかない様に」と云う意識が出てまいりましたが、このことは日本民族の美意識にも大きく影響し、例えばものごとを為すに当たって「いさぎ良さ」を大切にしたり、その「いさぎ」良さが発展して「わび」「さび」となり、更には「清らかさ」を美しいと感じる心は「礼儀」と云う観念にまで発展いたし、江戸時代末期に多く渡来した外国人は日本人は非常に「礼儀」の正しい民族だと驚きました。

調ってみると木で作った桶に竹の「タガ」がはめられて桶の水がもらなかった様に古来からの日本民族の美点は「恥」を知ると云うことでありそれが社会全体の「タガ」となって社会を落着いたものにしておりました。

余談になりますが今日公園や道路に一杯のゴミが散乱し見る人の心を痛める状態でありますが、これも人の見ているところでは恥をかくから「ポイ捨て」は止めますが誰も見ていない所では無責任に「ポイ捨て」を行い、何ら社会的に悪いことをしたと云う気持ちになれないのもこの影響かも判りません。よく「旅の恥はかき捨て」と云いますがこれも一度自分の定着している村を離れると誰も知った人はおりません。ですから恥を「かき捨て」にして何ら自分の心にもとる様なことを感じないのかもしれません。

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