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​信仰と「私」

​岸田 親憲

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​「私」の誕生

ここで始めて真の意味の自覚を持った「私」人間が誕生するのであります。それまでの自分は自然派生的な単なる生き物であり佛教で云うところの「無明」の人であります。

神縁を得ることによって始めて宇宙のしぐみや真実の姿を知り、人間として自覚を持った「私」が誕生するのであります。常に人間は二度の誕生日を持つことをすすめていますが、一度は自然派生的に母親の胎内からの誕生であり、神との出逢い自分の人生や生き方に自倍を持ったときが本当の意味の「私」の誕生であります。通俗的に「信仰をする」と云うことは実はこの様な深い意味があり、単に願望を成就するために神に祈願をすると云う様な感情的行為ではなく、崇高な宇宙的な私を越えた行為であります。

信仰は日本人が古来から持って来た全体の馴れ合いの無自覚な行為ではなくあくまでも信仰は「個」

から生まれて来るものであり「私」から出発するものであって、最も大切なことは普通の仰は「自己中心」でありますが「私」の誕生を持った信仰は「宇宙の意志」に沿うことでありその意志を自分の意志として生きることであります。

信仰は神を倍じて拝むことのみでなく神の意志にそって「生きる」ことでもあります。逆に云い変えますと信仰は「生きることの証し」なのであります。神さまの宇宙的な御聖業への参加であります。

私たちが生きると云うことはこの様な深みと内容のあることであり「自己中心」の「自己拡大」

の生き方は宇宙のしぐみから見ればまるで逆立ちをしている様なものでありものごとの真請を明らかにしていない明るさの無い所謂「無明」の人生そのものでもあります。「私」と云うこの世に二つとない得がたいその私の肉体の中で尊い不思議な神わざがくりひろげられているのであります。

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